2000年11月28日(火)8:55。「ソニック5号」が大分に向けて小倉駅7番ホームを離れた。次は米子行き特急「いそかぜ」の入線だ。
 長いこのホームの真中辺り。そのほんの僅かな停車位置を見回してみたが、「いそかぜ」の登場を待つ人影はまばらだった・・・

小倉→長門市 ’07.5.11 動画を追加
長門市→浜田 ’07.5.16 動画を追加
浜田→米子 ’07.5.23 動画を追加
 小倉9:14発→長門市10:49着
動画 音量にご注意ください!
小倉(7.73MB 1分30秒)
 9:04。3両編成の「いそかぜ」が入線した。
 かつてグリーン車は勿論のこと、食堂車まで連結していた特急「まつかぜ」の後継者にしては寂しい布陣だ。
 折り戸式のドアが開き、2号車自由席の車内へ。日本海の眺めを堪能するため進行方向左側にあたる一角を陣取った。
 ひとまず荷物を置き、編成をホームから観察した。
 通称京都色の先頭車(3号車・禁煙車)ではなく国鉄色の2号車を選択したのは、アコモ的に全く同じとしても「まつかぜ」の幻影を追い求めているからだろうか・・・
 昔話になってしまい恐縮だが、1977年(昭和52年)12月、友人二人と共に、ここ小倉から大阪まで「まつかぜ」に乗車した。
 在来線の特急乗車自体が初体験だったこともあり、博多から到着の「まつかぜ」が、ややカーブした小倉駅8番線に姿を現わした時の感動。そして日本海を眺めながらの食堂車での食事は、20数年を経た今でも忘れられない。
 名称は変わり運転区間も編成も短縮されたが、新幹線が東京−博多間を5時間ほどで結ぶこの時代に「いそかぜ」が生き長らえていることに感謝したくなる。
 9:14。列車は定刻に動き出した。
 ※左の写真は、11/25の撮影で全車国鉄色でした。発車シーンの動画はこちら(1.86MB 42秒)

「皆様おはよう御座います。鹿児島線、山陰線を通ります米子行き特急『いそかぜ』で御座います。(中略)関門トンネル内は、トイレ、洗面台水周りの使用は禁止となっております。ご協力をお願い致します・・・」

 これまで何度も関門トンネルをくぐって来たが、初めて耳にしたフレーズだった。
動画
門司付近〜下関(12.19MB 2分22秒)
 時折関門海峡を左に見て進むと、門司駅を通過して関門トンネルへのアプローチに入った。
  〜 追憶の特急「まつかぜ」 〜
 かつて京都(その後大阪・新大阪)−博多間を福知山線、山陰本線経由で結んでいた特急「まつかぜ」。
 1972年4月号の時刻表によると、下りは京都7:20発、博多20:50着(所要時間13時間30分)。上りは博多8:15発、京都21:50着(所要時間13時間35分)だった。(但し、大阪−鳥取間のみを走る「まつかぜ」との2往復体制だった。)
 編成は京都−鳥取間が13両。鳥取−博多間が7両で、グリーン車は、鳥取止まり編成、博多行き編成各々に1両。食堂車は博多行き編成に組まれていた。
 1985年3月ダイヤ改正にて米子以西が系統分割され、「いそかぜ」が誕生した。

  下左:新大阪行き「まつかぜ4号」鹿児島本線枝光−八幡間(1984年?撮影)
  下右:同列車 山陽本線下関−門司間(1985.1.4撮影)
 (博多)小倉→長門市
博多 黒崎 小倉 下関 川棚温泉 滝部 長門市
いそかぜ号(’00.11) 9:14 9:27
/33
9:56 10:16 10:49
/51
まつかぜ4号(’83.8) 8:12 8:54 9:07
/08
9:22
/25
9:51 10:48
/51
 寝台車、機関車などが憩う車両基地を左に見下ろしながら下関に到着。6分停車する間に小雨が降り始めた。
動画
下関、幡生付近(9.07MB 1分46秒)
 隣接する下関車両センターにクモハ42の姿が見える幡生を通過すれば、山陰本線へと進入する。
 9:56。山陰本線最初の停車駅、川棚温泉に到着。初老の女性3人組のほか何人かが下車した。
 川棚温泉付近で一旦海岸から遠ざかり、小串付近で再び海岸が左手に広がった。青い海と時折それを遮る紅葉。この時期ならではの車窓が楽しめた。
動画
長門粟野付近(1.56MB 18秒)
 前述の「まつかぜ」乗車時は、下関−長門市間が無停車で特急の威厳を感じたものだが、現在は川棚温泉に続いて滝部にも停車するダイヤだ。
 難読駅名の特牛を経て再度の海との対面である。