まりも1号ネタを飛ばしたい方は、こちらからどうぞ。

「まりも1号」は約30分遅れて札幌を後にしました。
「高校生ですか?」
彼女が聞いてきました。
「高校2年ですけど貴方は?」
「もう働いてるんですけど、やっぱりそうは見えないですか?』
 どう見ても同年代かちょっと年上にしか見えない。女性に年齢を尋ねるのは失礼だが、
「二十歳くらいですか?」と尋ねてしまいました(^^;)
「ええ。17,8に見えますか?」
「えっ!・・・まぁ・・・お仕事は何をなさっているんですか?」
「保母なんです(^^)」
 きっと子供たちに大人気なんだろうなァ。
「(子供たちが)全然言うこと聞いてくれなかったり、こっちが馬鹿にされたりして。」
 彼女がはにかみがちにそう言った頃、列車はゆっくり築堤を登りながら函館本線と別れました。ここからは高架上を走るので、夕暮れの街並みを見下ろすと共に、野幌森林公園に建つ「開道百年記念塔」も見渡せました。

「どちらからいらしたんですか?」
 とは僕の言葉。
「江別からです。貴方は?」
「北九州からです。」
「えっ!そんな遠くから来てるんですか!? 飛行機で?」
「いえ。汽車ばかり乗り継いで・・・」
 彼女が驚いたのは言うまでもありません。おそらく僕が、彼女とコンタクトを取った最初の九州人だと思います(笑)。
「九州に住んでたらこっちの暑さなんて平気でしょう?」
「いやぁ、今日くらい暑いと変わりませんよ。」
「それにしてもカバンが大きいネ。何が入ってるのかナ?」
「着替えとか時刻表とか・・・・目覚し時計なんかも入ってます。」
 
 彼女がカバンから新聞紙を取り出して、これを敷くからどうぞ靴を脱いで、と言いました。
 何かのガイドブックに床に新聞を敷くのはみっともない、とあったのを覚えていましたが、逆に「素朴な人柄なんだなァ」なんて惹かれてしまった僕(笑)物は取りようです。

 だんだん会話のネタが無くなってきました。喫茶店などと違ってシンと静まり返らないから救われますが、それでも何か話題が欲しい・・・・
 列車はひどくのろいスピードで島松を通過しました。
「えらく遅いですね。」
ついくだらぬことを言ってしまった私に、
「急行なのにネ。」
と微笑み返してくれました。
 なんて優しいんだ! でも、仕事柄他愛の無いことを言う子供を扱いなれてるのかな。
 
 車窓を千歳の街明かりが煌き始めました。彼女は「綺麗ね。」と呟きながらそれを見つめていました。
 僕は車窓を見ながら、彼女の微笑む横顔もつい見つめてしまいました。
 
 列車は、千歳空港駅(現・南千歳)からは石勝線を快調に飛ばし始めました。
 僕達は好きな音楽の話などをし続けましたが、新夕張を出る頃からは沈黙が包み、車窓からは街灯りもなくなりました。
 仕方なしに国語の宿題(なぜか持ってきてました(笑))を始めることにしました。
 
 21:20頃占冠に到着。そしてそこから20分ほどで石勝高原(現・トマム)に到着。
 少し明けた窓から線路際の辺りをじっと見つめる彼女の髪を山の冷気がそっと揺り動かしていました。
「すいません。これなんて読むんですか?」
「これはねぇ、えーとオミナエシ。」
「ジョロウバナ(女郎花)でオミナエシ・・・・か。」などと呟きながらメモした文字は、列車の揺れで目茶目茶になったけれど、この読み方だけは一生忘れることはないでしょう・・・・
 
 彼女は「幼児の教育」の類の本を読み始めましたが、すぐに閉じました。本のカバーには「大麻○○堂」の文字が見えました。
 大麻は札幌から各駅停車で20分ほどのところです。

「ねぇ見て!ほら綺麗!」
 彼女の声に顔を上げ車窓を見ると、進行方向遥か左下方に光の粒子の集合体がありました。
 暗闇の中でそこだけがぽっかりと浮かび上がっているようにも見えました。列車は今からそこに下っていくのです。
「新得ですね。」
 僕が呟きました。列車はもう“十勝”に来ていました。
 あと30分もしないうちに彼女が下車してしまうのか。そう考えているうちに列車は高度を下げ、街灯りは右側に移りました。
 勾配を緩和するため大きくS字カーブを描くからです。
 そして、街灯りが目前のものとなり、26分遅れでの新得到着を告げるアナウンスが流れました。

 22:15、新得を発車。次が十勝清水です。
 彼女は身支度を終えデッキに向かいましたが、僕は席に座ったままでした。
 わずか3時間半とはいえ、孤独を忘れさせてくれた彼女に別れの挨拶をするべきなのに、なぜか急に気まずくなり何も言い出せそうに無くなりました。
 22:15。十勝清水の駅に停車した瞬間、僕はようやく腰を上げデッキに向かいました。
 砂利の敷かれたホームを跨線橋に向かって歩き始めていた彼女が足を止め振り返りました。僕は彼女にお辞儀をするのが精一杯。

 「いい旅を続けてください。」

 彼女が優しい言葉をかけてくれました。僕はもう一度お辞儀をしましたが「ありがとう。」の一言が出ませんでした。
 無常にもドアが閉まり、列車は動き始めました。
 彼女が遠ざかり、そして十勝清水のわずかな街明かりも徐々に消えて行きました。彼女と過ごした余韻が強烈に残り、同時に後悔と哀感がこみ上げてきました。

 列車は21分遅れて帯広に到着しました。
 誰かと話しがしたくなり、駅の電話BOXから自宅に電話すると母が出ました。その声は妙に温かみを帯びているように思えました。その晩は駅ネする気力が無くなり、大枚はたいて駅近くのビジネスホテルに宿泊しましたが、なかなか眠れませんでした。
 士幌線
 帯広と十勝三股を結んでいた78.3kmの路線。
 末端部の糠平−十勝三股間18.6kmは極端に利用客が少ないことから'78年(昭和53年)12月25日に代行バス化され、'87年(昭和62年)3月23日に代行バスを含む全線が廃止。十勝バスが代替運行中(糠平−十勝三股間は、上士幌タクシーが1往復/日運行)
 8月6日(土)。道内3日目。夕べのことを引きずって、気分の重い朝でした。
 帯広6:10発の士幌線下り始発列車に乗車しました。列車は6両とわずかな利用客には過剰に見えましたが、前4両は途中の士幌までの連結とわかりました。
 帯広を出てすぐに渡った十勝川の鉄橋は、余命幾ばくもない路線と思われるのに架け替え工事をしている気配でした。

 家並が途切れると麦畑が広がり、そんな中に武儀(むぎ)という駅がありました。
上士幌にて。  道内時刻表にも記載されていない新士幌仮乗降場を過ぎ6:54士幌に到着。前4両はすぐに切り離され転線し帯広行きとなりました。
 上士幌が近付くと前方上空に数十個の気球が見えました。どうやらイベントが行われているようで壮観でした。
 清水谷を過ぎると酪農地帯が尽き、線路に沿う十勝川の支流音更川は渓流となりました。
 下り列車しか停車しない黒石平を出て500mほど進むと、今度は上り列車しか停車しない電力所前仮乗降場を通過しました。
 勾配の関係でそのような具合になっていたのですが、全国版の時刻表は便宜上、電力所前の発車時刻を黒石平の発車時刻としていました。
糠平駅前にて。  しばらくすると谷に沿って高みに登り視界が開けました。対岸には雪崩の跡なのか、木々が無く巨大な牙のように地肌が剥き出しになった断崖が望めました。そして谷底には国道やこの先のダム建設時まで使われていた士幌線の線路跡が見下ろせました。

 幾つかトンネルと雪崩除けをくぐるうちに勾配が終わり、そのダムによって出来た糠平湖の岸辺に出ました。
 この湖底に旧糠平駅が沈んでいて、渇水時には残骸が姿を現わすそうです。
 7:58、糠平に到着しました。
 駅前にいた十勝三股への代行バスはシートピッチの狭さに驚かされました。8人分くらいの席を取り払いそこを荷物置き場としていたのですが、先客の荷物で一杯だったためカバンは膝の上に置くことにしました。
 8:04。乗り潰し派の客で8割程度の乗車率になって発車したバスの走る道は最初だけ舗装路で、すぐ砂利道に変わりました。
 田舎のバスはオンボロ車(ちょっと古いですね)ではありませんでしたが、砂埃は大変なもので朽ち掛けた鉄橋を撮影しようとしたらカメラに薄っすらと埃が付着していました。
 駅のあった幌加では、わざわざ横道に入り赤錆びたレールを踏んで駅前まで入りました。人家があり、つながれた一匹の白い犬が乗客に愛嬌を振りまいていました。

 糠平から30分ほど走ったバスは、十勝三股駅近くの小さな商店の前に横付けされました。その商店では士幌線の乗車券(軟券)を発売していました。
十勝三股の駅舎。このまま朽ち果てていくのだろうか?  そこから草むした小道を50mほど歩いたところに十勝三股の駅舎がありました。
 窓も扉も完全に閉鎖され、駅名板は外されていましたが、荒れている様子はありませんでした。
 ホームに入ってみるとこちらは雑草が生え放題で廃駅そのもの。
 しかし天気が良いせいもあってか寂しさは余り感じられず、駅名表をバックに記念撮影する人たちを見ていると、鉄道の新名所のように思えました。
 帰りのバスは大雪山からと思われる乗客が加わり、また途中の幌加温泉からも別の下山グループが乗り込み補助席まで一杯になりました。しかもこの二つのグループは偶然再会したらしく賑やかに話し始めました。

 糠平から6分の接続で帯広行きに乗車。睡魔が襲ってきましたが景色の良い清水谷までは起きることにしました。
 下り坂の途中にある上り列車専用の電力所前仮乗降場は1両がやっと止まれるホームがあるだけ。運転手は慎重にブレーキを操作し先頭車のみホームの位置に止めましたが、当然?乗降客はいませんでした。