リリリリリリリリリリリリリリリリリリリ・・・・・・目覚まし時計のけたたましいアラーム音が、朦朧とした頭の中で徐々に確かなものになってきました・・・・・・あぁそうか・・・・今僕は音威子府に来ているのか・・・・もう起きなければ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「早く起きないかんでっ。」
 揺り起こされてハッとしました。アラーム音は自分で知らぬうちに止めたのか、既に消えていました。目の前にはやや呆れた表情のK君の姿が。
 夕べ彼と出会い気が緩んでいたのでしょうか。兎に角彼に助けられたのは確かです。あのまま深い眠りに落ちていたら・・・・・
 8月9日(火)。時間は午前3時半。駅前の水道で顔を洗い空を見上げると、さすがは北海道。曇り空でしたが微かに明るさを帯びていました。

 ホームでは3両編成の気動車がアイドリングしていました。前2両が稚内行き。後ろの1両が興浜北線に乗り入れる北見枝幸行き。天北線の下り始発列車です。
 発車時間は早暁4:16。しかし本来3:30発の稚内行き急行『利尻』が遅れていたため足止めを食いました。
 ホームに飾られた木造機関車や客車の形をしたベンチを眺めるうち、約1時間20分遅れで「利尻」が到着。14系座席車と寝台車の編成で、山峡の音威子府では場違いな感じがしました。
 「利尻」からの乗り換え客の有無は定かではありませんでした。こちらは約30分遅れて発車しました。

 二駅目の上音威子府を出て分水嶺を越えると、次は小頓別。興浜北線の分岐駅で天北線の中心駅浜頓別まではまだ45.8kmもあり、その間に上、中、下の頓別があります。歴史が浅く人口も地名も乏しい地域ならではです。
 遅れを少しでも取り戻そうとしているのか、列車は森林と牧場が続く中を快走しました。
 音威子府−浜頓別間にある6つの仮乗降場を全て通過することが功を奏したのか、余程ダイヤにゆとりがあるのか、浜頓別には10分ほどの遅れで到着しました。我が北見枝幸行きは、元々ここで14分停車するので遅れは帳消しです。
 興浜北線
 天北線('89年5月1日廃止)の浜頓別と北見枝幸を結んでいた30.4kmの路線。
 '85年(昭和60年)7月1日に廃止。宗谷バスが代替運行中。
 列車の切り離し作業や荷物を降ろす作業で、早朝5:40と思えぬほどの賑やかさだった浜頓別を稚内行きに背を向けるように発車。単行となった列車は興浜北線に進入します。
 線名の興浜の由来は今更説明は不要ですね。将来も両者が結ばれることは無いまま消え行く運命なのでしょう・・・・
 
 約4分ほどで頭に何も付さない“頓別”仮乗降場に差し掛かりましたが、下りの始発であるこの列車は、なぜか唯一通過します。
 ほどなく初めて目にするオホーツク海が車窓に広がりました。
 空は雲が低く垂れ込め、海は灰色で寒々としていましたが、遥か沖合いには晴れ間があるらしく、幾筋かの光が暗い海面を照らしていたのが印象的でした。
斜内−目梨泊間にて  斜内を過ぎ時計が6時を回った頃、列車の行く手に斜内山道の断崖が立ちはだかりました。
 列車はその難所に敷設された急カーブをゆっくりと通過しました。
「興浜南線より迫力があるなァ。」
 とK君。彼は一足先に訪問したようです。と、
「どこから来なすったね?」
 運転手がカブリツキをする僕らに声を掛けてきました。仕事中の運転士から声を掛けられたのは初めてです(笑)。
「あれが千畳岩と言ってな・・・・」
 時折名勝を説明してくれました。そして夕べ乗車した美幸線についても触れ、
「あれは(選挙の)票稼ぎだ。」
と、美深町長を辛辣に批判しました。
北見枝幸にて  毒舌。いや正論?は更に続き、興浜線と美幸線の未開業区間は・・・・
「絶対にやんねぇ。第一お客が乗らんのやから・・・・」
と「現場」を知る者の心情を吐露しました。

 6:26。北見枝幸に到着。
 ここは漁業の町でスタンプにも毛ガニが描かれていましたが、駅前は俗に言うカニ族(死語ですね。大荷物を背負う旅人をそう称していました)の恰好の宿泊スペースになっていました。
 バイク、自転車での旅人も大勢居るから、ひと頃この駅に現れることで有名になったキタキツネも出て来にくい事でしょう。
 僕らは入場券にホタテの貝殻のおまけが付く事を知り、それだけの理由で衝動買いしてしまいました。