その日(8月6日)の根室本線は余りの暑さのため、レールが延びて脱線する恐れがあるということで40km/hの速度制限が敷かれ、ダイヤが乱れていました。
 私が乗車した札幌行き特急『おおぞら4号』も52分の遅れ。しかも満席のため空調の効きが悪いデッキで過ごすことになりました。
 夕べ彼女と過ごした狩勝峠の昼間の景色は、まともに眺められず仕舞い。
 同じ路線なのに気分も環境も昨日とは雲泥の差でした。

 新夕張で夕張行きに乗り換え、清水沢で下車。
 「おおぞら」の遅れの影響で、わずか4分の接続となってしまった三菱石炭鉱業鉄道大夕張線、南大夕張行きに乗り換えました。
 DD13に似た機関車が牽引する2両の旧型客車は、ほぼ席が埋まっていました。
 16:05。1日3往復しか旅客列車が走らないこの路線の、本日2本目にあたる下り列車の旅が始まりました。ちなみに運賃は¥60と格安。

 列車は北炭の発電所やダム湖を右に眺めながらゆっくりとした速さで勾配を登って行きました。
 着席できなかった僕は、この速度なら振り落とされることは無いだろう・・・と、幌が無いのに通行できる連結部に立って下を眺めていると、突然鉄橋を渡り唯一の途中駅遠幌に停車しました。乗客の1/3ほどがそこで下車しました。

 列車は更に勾配を登り、清水沢からの7.6kmを20分掛けて南大夕張に到着しました。

 大勢いた乗客はどこかへ消え、駅に残ったのは僕を含め3人の旅行者だけとなりました。
 そのうちの一人は大きな荷物を背負って駅から続く緩い坂道を歩き始めました。2〜3km先にあるシューパロ湖にでも行くのでしょうか。
 もう一人の方は駅舎をバックに記念撮影を頼まれたのがきっかけで東京から来ていることが分かりましたが、その彼もどこかへ消えてしまいました。
 
 折り返し列車の発車までは、まだ1時間半近くありました。僕はうだるような暑さで動く気がしませんでした。いや正確には暑さのためだけではなく・・・・
 砂埃で薄汚れた待合室の床には、大分傾いたにもかかわらず衰えることを知らない日差しが、窓枠の影をくっきりと落としていました。
 軽い放心状態のような僕は、ベンチに腰掛け足を投げ出しその影を眺めながら、夕べなぜもっと話が出来なかったのか?なぜあの時「ありがとう」と言えなかったのか?なぜ僕はこんなにも不器用なのだろう・・・・未だに夕べのことが忘れられず、そしてこのような光景を予測したかのような、旅立つ前の友人の言葉が虚しく甦ってきました。
「向こうに行って、あとでこうしときゃぁ良かった!なんて後悔することがないようにしろヨ。」
 近所の子供たちが遊ぶ声以外聞こえない夕刻の駅で、止まる事を知らない時の流れを昨日の札幌駅に戻したい衝動にかられました。

 自分のふがいなさを恨みつづけるうち、ようやく発車30分前となりました。戻ってきた東京から来た彼と清水沢までの切符だけでなく¥40という安さに惹かれて入場券も購入しました。すると窓口氏が遠幌の入場券も売り込みに掛かりました。なんでも電話で知らせればホームまで“出前”してくれるとのことで、商売熱心さに押されて1枚“予約”しました。

 500mほど先の引込み線に引き上げていた列車が入線したので観察することにしました。
 写真をご覧になれば分かると思いますが、1両は貴重な3軸台車を履いています。そしてその車輌の定員は『夏68 冬64』となっていました。冬季、4名分の座席を取り外しストーブを設置するためです。

 18:07。上りの最終列車は乗客3人を乗せて発車しました。
 遠幌では業務を委託されているらしき前掛けをしたおばさんが切符を持ってきてくれました。
 古ぼけた切符の紙面には「三菱鉱業鉄道」ではなく「大夕張鉄道」とあり、金額の表記は¥10でした。


 その日はそのあと夕張まで往復してから苫小牧に出て、東室蘭で駅ネしました。
洞爺湖にて  8月7日(日)。道内4日目の朝、まず室蘭まで往復して来ました。
 行きは気動車、帰りはレッドトレインでした。

 そのあと洞爺まで普通列車に乗り、バスで洞爺湖へ向かいました。
 しばし観光タイムとしたあと、バスで胆振線の壮瞥駅へ。
 胆振線
 室蘭本線の伊達紋別と函館本線の倶知安を結んでいた83.0kmの路線。
 私が訪れた日の正に丁度6年前('77年8月7日)に沿線の有珠山が噴火して以降、降灰の被害に悩まされていた経緯がある。
 '86年(昭和61年)11月1日に廃止。道南バスが代替運行中。
壮瞥駅  壮瞥町はカルデラ湖である洞爺湖の流出口に位置する町です。

 12:57発の上り列車で一旦伊達紋別に行き、折り返し倶知安行きの客となりました。
 
 胆振線といえばかつて札幌発札幌行きの循環急行「いぶり」が走っていたのを思い出してしまいます。
 盛岡発盛岡行きの「五葉」、「そとやま」('82年(昭和57年)11月ダイヤ改正で廃止。)と共に机上旅行では何度も乗車した列車でしたが、乗る機会が無いまま’80年(昭和55年)10月ダイヤ改正で廃止されてしまいました。残念・・・
昭和新山。胆振線倶知安行きの車内から。  車窓には、かつて火山灰の除去に手を焼かせた有珠山、そしてその誕生により線路の付け替えを余儀なくさせた昭和新山が姿を現わします。
 進行左側に注意していれば「胆振線旧線跡」の碑が見えます。

 列車は壮瞥を出ると長流川の渓流に沿って走りました。硫黄分のためか黄色がかった石がゴロゴロしている上を清らかな水が勢いよく流れているのが印象的でした。

 蟠渓(ばんけい)、北湯沢と思わず下車したくなるような鄙びた川端の温泉地に止まります。しかし、乗降客はいませんでした。
 この先の峠越えを前にした新大滝で上り列車と交換。15分停車の間に眠ってしまい、次の御園との間にある道内時刻表にも掲載されていない尾路園仮乗降場を確認できませんでした。
 目覚めると中心駅の喜茂別も過ぎて京極に停車していました。ここでは交換する上り列車の遅れのため、しばし足止めを食いました。

 列車は7分遅れて倶知安に到着しました。