岩内線
 函館本線の小沢と日本海に面した港町、岩内とを結んでいた14.9kmの路線。
 かつては札幌から岩内への直通列車が存在していましたが、僕が訪れたときは線内を7.5往復するだけの路線になっていました。'85年(昭和60年)7月1日に廃止。
 岩内線の分岐駅小沢は、地形上起点となっただけのような山峡の小駅です。
 17:29発の岩内行きは、上り列車待ち合わせのためしばらく発車を見合わせるようで、僕はガラガラの車内で待っていました。
 
 上りの長万部行き普通列車が30分ほど遅れて到着したとき、時計は既に岩内からの折り返し列車に乗っていなければならない時間になっていました。
 乗り換え客により満員になった列車は、小川に沿って軽快に下っていきました。しかし全長15km弱の路線では遅れを取り戻すに至らず岩内に到着しました。

 小沢行きとなった列車は、駅を眺めるまもなくすぐ発車しました。
急行『ニセコ』。小樽にて。  小沢からは札幌行きの急行「ニセコ」に乗車しました。
 昼行列車ですが14系座席車7両、荷物車2両、郵便車1両をDD51の重連が牽引する客車列車で、'81年(昭和56年)1月からこの姿になったそうです。

 本来ならとうに小沢を出ていってしまっている時間でしたが、ダイヤの乱れが功を奏し、30分遅れてやってきたので乗車できました。

 牽引機は小樽でED76、1両に付け替えられました。
 その晩は室蘭本線の追分駅で駅ネ。
 当初追分駅の駅員氏は夜間は待合室を閉鎖する、と言いました。しかしそのあと跨線橋の下のスペースを勧めてくれたうえに、その場所まで案内していただきました。
 跨線橋下にが近付くと「友達が来たヨ」と駅員氏。どうやら先客がいるようでした。
 その先客は埼玉から来たという大学生で、傍らにフルートやラジカセを置き自分なりの空間を演出?していました。
 幌内線
 函館本線の岩見沢と幾春別とを結んでいた18.1kmの路線。正確には途中の三笠から幌内までの路線2.7kmも含みました。
 1880年(明治13年)、道内最初の鉄道として手宮−札幌間に開業した「官営幌内鉄道」の延長として1882年(明治15年)に開業した由緒ある路線でした。'87年(昭和62年)7月13日に三笠−幌内間を含め廃止。
幾春別駅  8月8日(月)。道内五日目。
 あまりの寒さで5時半ごろ目が醒めました。
 埼玉の彼は既に身支度を整えフルートの練習をしていました。
 これからの予定を伺うと帯広方面に向かうとのことでした。
 そちらへ向かう列車は8:58発の「おおぞら1号」まで無いから随分とのんびりしたものです。
 6:15。彼に見送られて追分を発ちました。
 列車は岩見沢廻り小樽行きのレッドトレインで5両編成でした。今はまだガラガラですが、岩見沢から通勤客で混み合うのでしょう。
 岩見沢で下車し、朝食用に贅沢にも「イクラ弁当」とお茶を買いました。
 発車を待つ幌内線の列車内で早速包みを開き、夕べは食欲が無く食事を抜いたこともあり、あっという間に平らげました。

 列車は7:45定刻に発車。
 およそ5分で栄町仮乗降場に停車しました。市街地に近いためか普通の無人駅と変わらぬ佇まいでした。
 中心駅三笠に到着する直前、単線の線路が右に分岐しました。1972年(昭和47年)11月まで旅客扱いしていた“本家”幌内線の線路です。廃止された年の時刻表4月号によれば蒸気機関車が牽引する普通列車が三笠−幌内間2.7kmを片道11〜12分掛けて2.5往復していたことが分かりました。
 三笠を出ると谷あいに入っていき、8:16幾春別に到着しました。 
 万字線
 室蘭本線の志文と万字炭山とを結んでいた23.8kmの路線。'85年(昭和60年)4月1日に廃止。
万字炭山駅  次に乗車する万字線の起点は、レッドトレインで先ほど通った室蘭本線の志文駅ですが、列車は全て岩見沢から発着します。
 
 幾春別から岩見沢に戻り9:19発の万字炭山行きに乗車しました。9時過ぎと言うのに、この列車が下りの始発列車でした。

 岩見沢から6分で志文に到着。7分間停車の間に室蘭からのレッドトレインと、岩見沢から追いかけてきた長万部行きのレッドトレインが並びました。
 外部から眺めれば壮観でしょうが、実はいずれの列車もガラガラでした。
 次の停車駅は上志文。スキーシーズンは札幌から「上志文スキー号」が乗り入れる駅です。

 万字炭山が近付くに連れ、沿線の地形が険しくなってきました。一雨来たら崩れ落ちそうな断崖も見えました。
 空模様は曇り。今日はそれほど暑くならないでしょう。10:10定刻に万字炭山に到着しました。
 三方を山に囲まれたところで、’76年(昭和51年)に閉山された炭坑が不気味に口を開けていました。またかつて石炭の貨車が並んでいたであろう線路跡が寂しく広がっていました。