美幸線
 宗谷本線美深と仁宇布を結んでいた21.2kmの路線。'85年(昭和60年)9月17日廃止。
 美幸線の起点美深へは、16:44発の幌延行きでも行けますが、肝心の美幸線の列車が接続しないので見送りました。
 次の上り列車までの2時間を散歩に当てていたのにこの雨ではままなりません。
 仕方なく待合室のTVでNHKの連ドラ「おしん」の再放送をぼんやり見ていると、二人の青年がやって来て時刻表を見るなり驚いていました。どうやら44分発の幌延行きに乗り遅れたようでした。彼らも約2時間待つことになります・・・。

 18:28発の稚内行きに乗車しました。
 列車は二駅目の智東で上り急行「礼文52号」と交換のため7分停車。線路を踏んで土手の上にある駅舎に行くと、待合室に古ぼけたストーブが灯されていました。
 若い駅員がウロウロする僕が気になったのか、
「もうすぐ急行が通過するから気をつけて。」
と声を掛けてくれました。もう一人乗り潰し客らしき青年も出てきて、彼と共に走り去る急行のテールランプを見送りました。

 18:59、美深に到着。ここで美幸線の気動車に乗り換えました。
美深駅待合室にて  美幸線はニュースで赤字線のワースト10が報じられるたびに名を挙げられ、赤字ローカル線の横綱みたいな存在になってしまいました。

 19:14。今日の下り最終列車の発車です。乗客は僕と智東で見かけた青年の二人だけ。それに対し乗務員は二人。これが美幸線の実態なのでしょう。
 席に座っていても真っ暗闇しか見えないので、カブリツキで前方を眺めることにしました。
 単行気動車は、この先に人里があることが信じがたいような暗い山道を右に左にカーブしながら進みました。
 時折踏切を通りましたが開くのを待つ車も人もありません。無数の虫が灯りを求めて車体にぶつかって来るばかりでした。

 二つ目の辺渓(ペンケ)を出ると、終点の仁宇布まで14.9km。全線の2/3は仮乗降場もありません。
 単調な時を過ごし19:44、仁宇布に到着しました。仁宇布は簡素なプレハブの駅舎があるだけのところでした。
終点仁宇布にて  本来美幸線は、オホーツク海沿いの北見枝幸までつながる予定で、この先58kmは着工率100%で放置されているのです。
 (当時の)美深町長はわざわざ東京に出向き美幸線の切符を売るほど熱心ですけれど、第3セクターで開業しても採算は取れないと思われます。

 19:50発の折り返し美深行きの乗客は3人。地元客とも旅行客とも付かない少年が加わりました。
 智東で見た青年はカブリツキをやっていました。そして彼の荷物を何気なく見ると「福山−北海道全周」と書かれていました。席に戻ってきた彼と目が合い、ここで初めて声を掛けました。
 思わず鉄道談義に花が咲き(苦笑)あっという間に美深に到着しました。跨線橋の階段を昇りながら、
 「これからどちらへ。」
 と、僕。
 「音威子府へ行って泊まります。」
 もしや?と思い明日のスケジュールを聞くと南稚内まで全く同じなのでした。思わず奇遇ですね、と顔を見合わせました。

 お互い22:10発の音威子府行きに乗車するので、それまで2時間あります。その間に夕食を買おうと、うら寂しい駅前の通りに出ました。
 ホカ弁屋でもあれば買うのですが、そんなものは無さそうでした。
 結局雑貨店で僕は食パンとウインナーを。彼は缶詰を幾つか買い、それを人気の無い駅頭に座り込んで食べることにしました。

 彼は固形燃料で缶詰を温め始めました。
 缶詰だけでは足りないでしょう?と食パンを一枚渡すと、お礼に「さんまの蒲焼」を頂いてしまいました。
 それを食パンに挟んでパクつく僕。傍から見ればかなり侘びしい夕食でしょうが、僕らは満足。それに周囲には全く人影が無いし。

 22:10発の音威子府行きの普通列車の車内で彼が名刺をくれました。
「貧乏学生旅の会 F高校写真部部長 K 靖男 〒720 広島県福山市・・・・・」
 とありました。
 福山市の某所に祖母が住んでいることを話すと、親近感を持ったようでした。
 ついでに旅行日程を記したノートを見せ合い接点を調べると・・・・6日後の早朝、石北本線の遠軽で再会することと、なんと帰りの青函連絡船が同じ日の同じ便であることが分かりました。再会を約束したのは言うまでもありません。
 22:47。音威子府着。
 駅前にトーテムポールが聳えるこの駅は、天北線の分岐駅で一応要衝と言えるかもしれませんが、街も駅も眠ったように静かでした。僕らは、夜行急行「利尻」のおかげで終夜開放される待合室で眠りました。