〜南部縦貫鉄道〜 旅行記はこちら
 2002(平成14)年8月1日。それはこの鉄道が正式に廃止された日です。
 1962(昭和37)年10月に開業するも1966(昭和41)年、当初計画されていた砂鉄輸送の計画頓挫により早々と会社更生法を申請。更に1968(昭和43)年5月十勝沖地震の被害による全線不通。そして利用者の減少・・・・
 小規模な民鉄がモータリゼーションの波に飲まれことごとく廃止された状況を考えると、ここまで生き長らえてきたことは稀なケースと言えます。
 但し実質的に“廃止”されたのは1997(平成9)年5月5日であり、以降今夏まで“休止”を延長して来ました。
 それは設備の老朽化を伝える数々のサイトを目にするたび、虚しさを感じずにはいられないことでもあったわけですが・・・・
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野辺地(1.53MB 24秒)
 前置きが長くなってしまいました。冒頭はブレブレでスイマセン。駅員さんの説明を入れたかったもので。
 その説明から分かる通り当時2両のキハ10系が野辺地−七戸間をピストン運行し、休止前の『お別れ乗車』に訪れていた大勢の乗客をさばいていました。
 そしてここにも書いてますが、先行車の定員35名分の乗車券が売り切れた旨を説明しているのでした。
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野辺地(0.94MB 11秒)
 当時南部縦貫鉄道は1日5往復の運行で、当日私達が乗車した列車は午後一の列車でした。
 即ちその列車への接続を勘案した場合、私が辿った「Maxやまびこ11号(東京8:52発→盛岡11:44着)」、「はつかり7号(盛岡11:54発→野辺地13:37着)」による野辺地入りの行程は首都圏を当日JRで発つとするなら最も接続が良いパターンといえました。考えることはみな一緒で構内は想像していた以上に盛況でした。
 その大勢のギャラリーが見つめる中、先行車となる2台目のキハ10系(キハ101)が静々と到着しました。
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野辺地(2.03MB 18秒)
 雪の野辺地駅構内にこだまする警笛が印象的です。
 動き出した先行車は発車したわけではありません。発車時間は約10分後の14:15であり、後続車を正規の停車位置に移動させるための処置だったと思います(曖昧でスイマセン)。
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野辺地(1.14MB 13秒)
 野辺地駅編引っ張ります。しかもまたもやブレブレですいません。

 先行車が定刻の14:15に発車しました。
 かつてこの鉄道で貨物輸送が行われていた頃、JR側の敷地には側線が広がっていたのでしょうか? 
 貨物輸送は1984(昭和59)年2月1日に廃止され、その敷地には雪が降り積もるばかりでした。
 先行車はその西側の縁を辿るようにクネクネと敷設されたレールを走り去りました。
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野辺地(1.44MB 17秒)
 休止期間に入る約2ヶ月前ということもあり、車内にはご覧のような“さよなら系”のイベントやグッズの宣伝が掲示されていました。
 そして運転席の傍らにはタブレットが掛けられていましたが、当時全線1閉塞(途中駅での交換無し)でしたので、その役割は不明。他方の列車は同一閉塞区間を同方向に走行していたわけだし・・・

 後続車の発車時間を知らなかった私は、その後の行程のこともあり少々不安になりながら、今や遅しとその時を待っていました。おそらく乗車されていた方の大半が同じ心境だったと思われました。
 そんな雰囲気の中、ようやく運転士の登場です。
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野辺地(1.23MB 14秒)
 列車の後部に乗車した車掌の操作により安全確認済みの合図であるブザーが発せられ、先行車に遅れること8分。ようやく発車しました。
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野辺地(2.22MB 26秒)
 キハ102はスピードの割に振動がひどく、満員の車内では撮影も大変だったように思います。
 一つ目の駅西千曳までは、東北本線が複線電化されるまでの旧ルートで、やがて現東北本線が左手に消えて行きました。
 久々に映像を見直しながら、真っ直ぐな築堤を蒸気機関車が力走していた光景を想像していました。
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西千曳(1.74MB 20秒)
 旧国鉄千曳駅(この映像には無し)の長いホームを通過し、ほどなくして西千曳に到着。
 当日は各所に撮影機材を手にした同業者が見受けられました。

 運転士が左手で操作しているレバーは、この車輌の場合「アクセル」と表現してイイかもしれません
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野辺地(2.18MB 25秒)
 まんまバスだ!と思わずには居られない操作ですよね。
 自動車のAT比率が高い時代ですからご存知無い方も多いでしょうが、いわゆるダブルクラッチ(死語)のためクラッチを踏みつつシフトレバーをニュートラルの位置に移した時点で一旦クラッチをつなぎ、再度クラッチを踏みつつギアを入れるわけです(左足の動きにも注目)。
 ただ言うは易し。以前勤務先にあった年代モノの消防車を敷地内のグラウンドで運転させてもらった時、ダブルクラッチがイマイチ理解できず、ギクシャクさせてしまったものです。

 さすがはベテラン運転士。ご覧の通り実にスムーズなシフト操作でした。
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道の上(1.74MB 13秒)
 ご覧の通り人影の見えない無人駅は警笛を鳴らしつつ通過しました。これもバスのおもむき。
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天間林(0.91MB 10秒)
 かつては有人駅で交換設備もあった天間林。元々当地で産出する砂鉄の輸送が主目的だったはずのこの鉄道。構内は比較的広く、企画倒れの砂鉄ではなく農作物を積み出していた頃が偲ばれます。
 以前某料理対決番組で「にんにく(天間林産)」の文字を見かけたことがありますが、天間林村の特産品のひとつですネ。
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七戸(1.11MB 12秒)
 先行車で到着した方々。近隣の方々。もしくは十和田観光電鉄+バスでやって来た方々・・・大勢のギャラリーに迎えられて終点七戸到着です。

 折り返し列車=先行車で野辺地に戻るつもりだった私は、このあと構内で撮影後記念切符を所望しました。
 出札窓口周辺は、お別れ乗車組でごった返していたものです。
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盛田牧場前他(1.22MB 14秒)
 復路の映像です。
 盛田牧場前で撮り鉄の方を1名下ろして発車した列車は、踏切を渡り人気の無い雪原へと進みました。サイドミラーに流れる路傍の景色が印象的なカットです。
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旧国鉄千曳駅(1.48MB 17秒)
 東北本線が複線電化されると同時に、国鉄千曳駅は東に2キロほど離れた現在の位置に移動しました。
 先述の通り、以後「南部・・・」は、旧国鉄の線路跡を辿って野辺地駅に乗り入れることになったわけで、起点駅がタナボタ的に格上げされたような恰好でした。しかしその「線路跡」が約30年後、廃止のきっかけになろうとは・・・
 元々利用者が極少で鉄道部門の存続自体が奇跡的だったこの鉄道。その状況に加え「線路跡」の所有者である国鉄精算事業団から土地の返還もしくは買取を要求され、いよいよ立ち行かなくなった末に廃止が決定されました。

 そして皮肉にも「廃止決定」は「お別れ乗車フィーバー」を招きました(私も一枚噛んでますが)。
 そのフィーバーによる臨時収入での土地買取、廃止から休止への変更、休止期間の延長を経て2002(平成14)年8月1日。正式に廃止されたのでした・・・
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野辺地(1.08MB 15秒)
 野辺地駅に到着。車掌が後部ドアをバタバタと手で開け下車が始まりました。
 往復とも立ちん坊だった私。しかし雪景色の中を行くレールバス乗車に満ち足りた気分で足の疲れも意に介してなかったと思います。
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野辺地(1.30MB 15秒)
 他の下車客と共に古びた木造の跨線橋の階段を昇り、キハ102の屋根を見下ろしました。
 排気管の周囲は真っ黒に汚れていたものの、全体に綺麗で妙にのっぺりとした印象でした。

 私はそのままJRホームへ移動して、そちら側から「南部・・・」を撮影。私が乗車した列車が「お別れ乗車」のピークだったようで、七戸からの続行車(すなわち次の先行車)を待つ方々はそれほどいらっしゃいませんでした。

 「レールバスに乗って(中略)七戸町」の看板が寂しさを助長させたものです・・・・
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野辺地(1.28MB 15秒)
 続行車が静々と到着しました。先行車の到着が15:57頃でしたから、運転間隔は20分だったようですね。

 構内の向こうに見えるのは1893(明治26)年に植林された日本最古の鉄道防雪林です。
 110年ものながきに渡って行き交う列車や人々を守り続けてきたわけです。ご存知の通り?鉄道記念物に指定されています。
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野辺地(1.37MB 16秒)
 雪が舞い散る中のレールバスは絵になりますねぇ。
 
 七戸に向けて力強く加速するキハ101は、先述の通り利用者はそれほどおらず空席も見えました。
 当時は寂しげに思えたものですが、のんびり浸るにはこの程度の乗車率の方が良かったかも・・・
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野辺地(1.77MB 20秒)
 いよいよ閑散とした続行車。これこそが普段の姿とも言えました。

 そしてカメラをパンすると・・・これも今はなき特急「はつかり」が入線。私が乗車した「はつかり13号」に充当されていたのは国鉄色583系でした。

 これにて南部縦貫鉄道編終了です。