懐かしの風景はいま 鹿児島本線枝光駅、折尾駅
 明けて1月13日日曜日。旅の本分である同窓会当日の朝でした。

 しかし開催予定の夕刻まで実家で大人しくしているわけがありません。徹夜もどきの旅程による寝不足の身体を奮い起こした僕は、朝食も取らずに最寄りの鹿児島本線枝光駅へと向かいました。時間は7時を回ったところでした。
枝光駅付近の地図です。
 僕はこの旅を実行するにあたり(近所にJR九州の支店がないため)切符類を郵送で入手したわけですが、実は唯一指定席券を入手できない列車がありました。それは全席指定で運行された博多9:33発の門司港行「水戸岡鋭治の幸福(しあわせ)な臨時列車」です。

 同列車は博多駅構内のJR九州ホールで開催された「水戸岡鋭治の幸福(しあわせ)な鉄道展」を記念して、2012年12月2,8,9,15,16日と2013年1月12〜14日に運行された臨時列車です。
 指定席券の入手を困難にした要素として、僅か3両で定員130名ほどの「SL人吉号」編成が充当されたこともありますが、陣原−門司間で鹿児島本線の貨物線を経由することが大きかったと考えられます。

 元沿線住民の僕としては、近くて遠いと感じていた貨物線です。乗車する機会はそうそうあるものではありませんが、指定席券が入手できないのならば撮影に徹するしかありません。
 その走行ルートの希少性を表現するべく貨物線ならではの姿を捉えたかった僕の念頭には、旅客線から大きく離れる戸畑−枝光間での撮影がありました。

 僕はなじみの枝光駅前を通り過ぎ、戸畑方の高架下を経て貨物線の通る駅西側に出ました。
 この付近は枝光駅で貨物の取り扱いが行われていた頃、立ち入ることがはばかられた領域です。当時高架下を行き交うのは専らトラックの類でした。

 また更に時を遡れば、僕がこの世に誕生した頃に複々線化されるまで、旅客駅が位置していた場所です。
 役目を終えたプラットホームは、複々線化後も長いこと撤去されずにいました。幼い頃の僕は線増の経緯を知らないながら、現在の上り線ホームから遺構を俯瞰しては「かつては旅客扱いしていたのだろうな」と思っていました。

 そんな思い出の風景はゴルフ練習場やマンション、ドラッグストアなどが建っており一変しています。僕としては駅西側に自由に行き来できることに違和感がありましたが、臨港部特有の空気が生活臭を打ち消しており、駅東側に広がる住宅地とは雰囲気を異にする土地だなとの印象も受けました。
 さて。肝心のロケハンはというと、貨物線たる雰囲気を醸し出す構図が得られなかったため、当地での撮影を断念しました。そうであれば「水戸岡鋭治の幸福な鉄道展」にも立ち寄ることだし、開き直って博多駅構内での撮影に方針転換です。僕は貨物線の踏切をあとにして枝光駅に向かいました。


 博多に向かう下り列車に乗車するまで何本かの列車を撮影しました。まずは相次いで通過した特急列車の動画をどうぞ。
 次は普通列車の動画です。交直切替を要する関門トンネルを通過する列車には、今も古参の415系電車が活躍しています。 僕は筑豊本線、篠栗線経由の博多行4681Hで枝光駅を離れました。
 筑豊地区を経由する4681Hの博多駅到着時刻は9:50です。
 終点まで乗り続けていては「水戸岡鋭治の幸福な臨時列車」を撮影できないため、八幡駅で4681Hを追い越す博多行の快速3387Mに乗り換えて、更に折尾駅で特急「ソニック8号」に乗り換えることにしました。博多到着時刻は快速3381Mが9:03なのに対し「ソニック8号」は8:53です。

 折尾駅での乗り換え時間は9分ほどです。僕は駆け足で駅前に向かいました。
 現在折尾駅周辺の連続立体交差事業が進められており、駅本屋は取り壊されています(その後同年3月中に完了)。
 当然ながらルネッサンス式の由緒ある駅舎を惜しむ声は高まりを見せました。北九州市と「おりお未来21協議会」の「折尾駅舎保全・活用基本方針」によると、主要な部材を転用の上で駅南口の一角もしくは堀川沿いに旧駅舎を複製保存するとのことです(但し用地買収は滞っているとのこと)。

 建築工学や法規に明るくない僕などは、複製ではなく駅舎の存続を前提で事業を行えないものかと考えるのですが、この場で愚痴を言ったところでどうなるものでもないわけで・・・
 東京駅丸の内駅舎のような例は極めて特殊だということなのでしょう。古きを温めるための活動には同意します。しかしそのためには潤沢な資金が無ければ、ね。

 ともあれ、事業が完了した暁には折尾駅名物の鹿児島本線と筑豊本線の立体交差が解消されるとともに、両本線の短絡線が姿を変えます。それは折尾駅のアイデンティティを喪失するような、なんとも苦く悲しい変身に感じる僕です。
折尾駅付近の地図です。
8:24発の「ソニック8号」に乗車しました。