序章
日豊本線都城(’04.3.01)
その1 品川発車まで
その2 品川→浜松付近
その3 西条付近→徳山
その4 徳山→小倉
その5 小倉→臼杵
その6 臼杵→都城付近
その7 都城付近→西鹿児島
 かつて東京−西鹿児島間を丸一日費やして結んでいた寝台特急「富士」。小倉以南は日豊本線経由で運行され、運転区間短縮までは最長距離列車として名を馳せた。
 1979年(昭和54年)10月当時を例に取ると、東京を18:00丁度に発った下り「富士」が終点西鹿児島に到着したのは、翌夕の18:03である。所要時間は実に24時間03分だった。
 日の長い時期ならば、夕日に映える錦江湾と桜島が下り「富士」を迎えてくれることだろう・・・ 鉄道百科系の書物を飽かずに眺めていた鉄道少年は、終着駅を前に展開される車窓を夢想していた。
 その夢を体験することは叶わぬまま時は過ぎた。その間「富士」の運転区間は段階的に短縮され、今では大分止まりとなっている(※当時)。
 「富士」に限らず東京−九州間を結ぶ寝台特急は、現代の鉄道少年の憧れの対象となりうるのだろうか。いわゆるブルトレブームを知る者としては、寝台特急の現状に寂しさを覚える。

 2004年春。その凋落著しい「富士」が、かつての貫禄を再現する時が来た。日本旅行鹿児島支店主催、JR九州後援のリバイバル列車「懐かしの富士号」の運行である。
 宮崎−西鹿児島間の運行が廃止されたのが1980年(昭和55年)10月1日ダイヤ改正時だから、正味23年と5ヶ月振りの長駆である。
 ダイヤの関係で西鹿児島到着直前の夕景を眺めることは叶わないものの、その一度だけのチャンスを与えて頂いた日本旅行のK氏には感謝に堪えない。
 が、しかし乗車するには越えなければならない壁がある。関東地方で暮らす人間が、上り列車として設定された「思い出のはやぶさ号」と折り返し「懐かしの富士号」に乗車するには、関東−鹿児島間を2往復せねばならず一般的見地では正気の沙汰ではない。どのように妻に説明し理解を得ようか。

 2003年12月のとある日、K氏から拙宅に電話を頂いた。突然のことで驚いたが「思い出のはやぶさ号」の旅の項でも触れた写真使用の件や、両リバイバル列車の演出などについて説明していただいた。
 そして、その電話を切ったあとのこと。
妻「誰だったの?」
僕「日本旅行の人。今度乗る(つもりの)列車の話。」
妻「で? 結局どこに行くの?」
僕「北九州に行ってそのあと親と一緒に鹿児島・・・・・ 一回戻ってくるから(ボソッ)」
妻 ん?????
僕「鹿児島から一回戻ってその日の晩の列車でまた鹿児島に行くから・・・」
 思案した割りにストレートな表現ではあった。
妻「いいよねパパは・・・・ ほんっと『勝手もん』だよねぇ。」
 そのあと妻の小言はしばし続いた。当然のリアクションである。むしろ発狂されて殴り倒されなかっただけましかもしれない。彼女には「富士号」の足跡や「懐かしの富士号」のコンセプトなどどうでもよいことなのである。

 そんな経緯もあり、いつもより重い足取りで家を出た。
 そして「思い出のはやぶさ号」編成が、整備のため田町電車区に引き上げるを見届けてから約7時間後、再度品川駅を訪れた。
懐かしの富士号プロフィール  Vol.1
 運行日   2004年(平成16年)2月29日〜3月1日
 運転区間  品川−西鹿児島間(日豊本線経由)
 運行距離  1595.2km(実キロ)
 運行時間  25時間20分


 写真:都城にて